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ハリウッドザコシショウ [芸能]

ついに『R-1ぐらんぷり2016』(フジテレビ)で優勝を果たしたハリウッドザコシショウ。
会場も審査員たちも大爆笑で圧勝だったが、「何が面白いのか分からない」という感想も多い。一体ザコシショウとは何者なのだろうか。

芸歴24年の42歳。これまでアナーキーな芸風で芸人に愛されるタイプの芸人だった。それ故に、ライブなどでは絶大な支持を集めていたが「テレビ的」ではないと言われ続けてきた。
もともとは吉本興業所属で、同期にはケンドーコバヤシや陣内智則、中川家らがいる。
特にケンドーコバヤシとは合同ライブなどを一緒に行っていた“盟友”といっていい間柄。
番組のアンケートなどで「ライバルは?」と聞かれると、ケンドーコバヤシは決まって「ハリウッドザコシショウ」と答えているという。
ケンドーコバヤシもザコシショウ同様、男受けするタイプの芸人だった。
だが、2006年頃から『アメトーーク!』(テレビ朝日)などで脚光を浴び、「越中詩郎芸人」などを経てブレイク。男臭さが男らしさに転じ、無骨さゆえの可愛らしさとなって女性人気も高まった。
そんなケンドーコバヤシのラジオ番組『ケンドーコバヤシのテメオコ』にハリウッドザコシショウがゲスト出演したことがある。2010年のことだ。そのとき、こんなやりとりをしている。

ザコシ: だいたい元をたどれば、テメエとオレ、だいたい一緒のことをやっていたわけだよ。なんでここまで差が開く?
ケンコバ: わははははは。
ザコシ: おかしいやろ?
ケンコバ: 差、なんかないやろ!
ザコシ: 差、あるやろ!オレが地面やったら2光年くらい離れてる。
ケンコバ: 天空?
ザコシ: (笑)。天空だよ。
ケンコバ: 芸風、似てる似てるって言われて。特に俺も変えてないんよ。
ザコシ: 変えてないよな。でも売れたな。
ケンコバ: 全然よ。変わらんよ。
ザコシ:テメエが全然とかいうの、オレが惨めになるからやめてくれ。
ケンコバ: フハハハハハ!


この頃、ザコシショウは『あらびき団』(TBS)で「キング・オブ・あらびき」と称され活躍していた。
司会の東野幸治と藤井隆は、彼を「これぞ芸人」と絶賛している。

---ハリウッドザコシショウさんも、藤井さんのほぼ同期なんですよね。
藤井: そうなんです。それで東野さんも「これぞ芸人や」とおっしゃってますよね。こうやって自分の信じた道を突き進むのが芸人、憧れるなあって。それができなかったのが我々なんだって。
東野: 言ったなあ。すごいもんなあ。
藤井: でもそれを口にした瞬間、陳腐になるじゃないですか。ザコシショウはそんなコメント求めてないだろうなって。そう思うと何も言えなくなるんです。

そんなザコシショウも一度は芸人を辞めようと思ったことがあったという。
吉本興業時代は「G☆MENS」というコンビを組んで活動していた。心斎橋筋2丁目劇場にレギュラー出演していたが劇場自体が閉鎖。新設された「baseよしもと」に活動の場を移したが、4段階のランク分けの中で最下位になってしまう。
オーディションから出なくてはならなくなり、「もう芸歴として8年経ってるんだから、どうせやり直すなら他の事務所でやり直しても同じじゃねえか!」(『TV Bros.』2012年9月15日号)と思い、大阪から上京。ワタナベエンターテインメントに移籍する。そこで相方の静岡茶っぱがフィーチャーされ、いくつかのレギュラー番組を獲得。だが、これからというときに、突然相方から解散をつきつけられる。
ピンネタを学び直さなければならなくなったザコシショウは四苦八苦し、「コンビでやってたものが1人になったら、すごくブルブル来ちゃって、足が震えてセリフも出てこない状況で、これは僕はダメなのかな」(「お笑いナタリー」16年3月6日)と悩んだ挙句、芸人を辞めマンガ家を志したのだ。G☆MENSのショートコントを4コマギャグマンガにして集英社などに持ち込んだ。だが、幸か不幸か担当者に「こんなに面白くないマンガは見たことねえ」などと酷評され、「ふって、ふって、ふって、落とす。君はそれができてない!」とマンガの編集者にお笑いのノウハウを説教される始末だった(『TV Bros.』2012年9月15日号)。
そこで「ふざけんじゃねえ!」と奮起したザコシショウは再びお笑い芸人の道を歩み出し、現在の所属事務所・ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に入った。

■バイきんぐとの「桃園の誓い」

そんなとき再会したのが、ナベプロ時代に知り合ったバイきんぐだった。
彼らは意気投合し2005年から「やんべえ」という合同ライブを始めた。最初のライブの観客はたった9人だったという。

ザコシ: 何の因果か、ずっと同じなんでね。……義兄弟なんだよね、俺ら。
小峠: 義兄弟です。
西村:「桃園の誓い」を結んでるんで。
---三国志の有名なシーンのやつ?
ザコシ: こういう流れで「苦労するときも一緒、楽しいときも一緒」みたいな感じだったんで、事務所に入って「じゃあライブやろうよ!」って言ったときに、焼鳥屋に行ったんだよね。
西村: 行きましたね。
ザコシ:焼き鳥のねぎまを片手に、「桃園の誓い」をしたんですよ。三国志で言う劉備、関羽、張飛みたいな感じで。
西村: 契りを交わしましたね。
(略)
---じゃあ本当に、運命共同体みたいな感じ?
小峠: そうですね。やっぱりライブをずっと一緒にやってきたっていうのは大きいですね。「やんべえ」というライブを2ヶ月に1回、全部で20回くらいやったので。(略)絆っていう意味ではだいぶ太いと思いますね。

バイきんぐは2か月に1回新ネタを6本作って披露するライブを3年間続けた。だが、小峠は3年を区切りにそれを辞めると言い出した。そのとき、断固として反対したのがザコシショウだった。「もう1年やったら絶対『キング・オブ・コント』決勝に行ける」と。ザコシショウのその助言でもう1年続け、そのときにできたネタで『キング・オブ・コント』の優勝を勝ち取ったのだ。
ザコシショウは『キング・オブ・コント』王者となったバイきんぐにこんな手紙を書いている。

バイきんぐ殿
『キング・オブ・コント』優勝おめでとう。やっぱりお前らが優勝したって事は、そんじゃそこらの芸人の優勝とはわけが違うよな。今だから初めて明かすけど、9年前にお前らと出会った時は、まさにオレは芸人を辞めようとしていた時だった。でもお前らとライブをやった時に、こんなに笑いにアツいバカがいたんだと気づかされて、もう一度お笑いをやろうと決心した。オレたちの笑いが世の中に通じる事を証明してくれて、本当にありがとう。


■「人を笑うかネタを笑うか」

それではハリウッドザコシショウのネタの何が面白いのだろうか。
小峠は「ザコシさんはネタやって、スベるときはめちゃくちゃスベりますけども、ただ、ネタやって、それを観たお客さんは、ザコシさんのことを覚えてないってのはまずない」(『ハッピーエンド』=前出)と言う。
また、松本人志は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の「山-1グランプリ」で彼のネタを見てこう評している。
「一人の芸人なのにすごい面白いところとまったく面白くないところが共存してる」


まさにザコシショウのネタは、最初に見たときは「面白くないところ」が目立ち「面白いところ」まで目が行きづらい。だが、見慣れていくと逆に「すごい面白いところ」ばかりに目が行くようになってしまうのだ。

そんな中でザコシショウは自分の信じた笑いを貫きながらも、それが伝わりやすいようにしっかりと戦略を立てていた。
ネタの構成はわかりやすいように「時事ネタ」を入れ「いっぱいコアなものを入れると(客が)離れていくんで、わかるようなものをチョイス」。世間の目を向けるためにYou Tubeに自分のネタをアップした。そして見た目も変えた。
去年は白ブリーフで出たんですよ。それで3回戦で落とされたから「汚らしいのかな」と思って、これはメディア対応で黒パンにしたんですね。


それらが本当に効果があったのかはわからない。そもそも彼の言う「時事ネタ」がわかりやすいのか、「コアなもの」が排除されていたのか、さっぱりわからない。だが、事実として『R-1ぐらんぷり』で彼のネタは会場を大爆発させた。

東野はザコシショウを「ウケるウケないは関係ない。一生懸命何か作ってはる。その出来事が面白いんです。この人の粗い芸から滲み出る人間性や生活や楽屋にあるいろんなもんが見え隠れする」と称し「こんな人生送れない」と讃えた(『CONTINUE』vol.40)。
そして松本人志は『R-1』が終わったあと、このようなツイートをしている。
R-1は人を笑うかネタを笑うか。今年は人やったね。
ザコシショウおめでとう。


ところで前述のケンドーコバヤシとのラジオ番組のやりとりには続きがある。
ケンコバ: ザコシショウがなんかの雑誌のインタビューで俺の名前を出してくれたのを読んだけど、「いつか倒す」って。
ザコシ: おお、読んでくれた? それは変わってないね。
ケンコバ:「いつか倒す」って俺も逃げも隠れもしないけど、いつなんだ、リングあがってくるのは?
ザコシ: ハハハハ。
ケンコバ: 入場、全盛期の三沢(光晴)くらい長いやろ。(入場曲の)『スパルタンX』1回終わってる(笑)。


芸歴24年。ついにハリウッドザコシショウが、白ブリーフを黒パンに変えてリングにあがってきましたね

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